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私の心を満たしてくれるものたち

映画『望み』(ネタバレ・感想)

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あらすじ

一級建築士の石川一登と校正者の妻・貴代美は、高校生の息子・規士や中学生の娘・雅とともに、スタイリッシュな高級邸宅で平和に暮らしていた。規士は怪我でサッカー部を辞めて以来、遊び仲間が増え無断外泊することが多くなっていた。ある日、規士が家を出たきり帰ってこなくなり、連絡すら途絶えてしまう。やがて、規士の同級生が殺害されたニュースが流れる。警察によると、規士が事件に関与している可能性が高いという。行方不明となっているのは3人で、そのうち犯人と見られる逃走中の少年は2人。規士が犯人なのか被害者なのかわからない中、犯人であっても息子に生きていてほしい貴代美と、被害者であっても彼の無実を信じたい一登だったが……。

望み : 作品情報 - 映画.comより引用)

 

 

終始胸を締めつけられるように感じる作品でした。

息子・規士が失踪して以降の展開はもちろんですが、まだ何も起こっていないはずの序盤の平和なシーンを見ていても、どこか落ち着かないというか居心地の悪さみたいなものを感じたんですよね。

精神的に弱っている人にはダメージが強い作品だと思います。人間の嫌な面を見せつけられても、ある程度距離を置いて考えられるコンディションの時に観に行くことをおすすめします。

 

以下、ネタバレ込みで感想をつらつらと書いていきます。

 

 

<普通の>日常に忍び寄る一抹の不安

本作の冒頭。石川家の歴史を想像させる数枚の家族写真が映し出されます。

七五三、キャンプ、中学入学、高校入学・・・。

どの写真にも<普通の>家族の<普通の>記録が写っています。特別なものは何もありません。私自身が小さい頃の家族写真を引っ張り出してみても似たような写真が出てくるはずです。

そして、そう感じているのは一登や喜代美も同じでしょう。

自分たちの息子や娘は、<普通の>家庭で<普通に>育ってきたものだと信じて疑っていないはずです。

むしろ、他の家の子供よりもうちの子供の方がいい子だとすら思っているような節があります。

 

我も家族写真を見ている時はどこにでもいる普通の家族だと思っていました。ところが、この家族には<普通>とは少し違う面もあることが少しずつ分かってきます。

 

この家族から感じる違和感、それは「家庭環境内のプライバシーのなさ」です。

一登は一級建築士を営む都合上、度々顧客を自宅へ内覧させています。これは自らの手腕を顧客へ売り込んで信頼を得るために必要なことです。

このことは家族全員承知していることのようですが、仕事中の喜代美がお茶汲み役に駆り出されたり、子供が部屋にいる時であっても子供部屋の中まで内覧させていたりと、傍から見ると家族が仕事の犠牲になっているように感じます。

この環境に喜代美や雅は適応できているようですが、年頃なのもあってか規士は腹に据えかねている雰囲気です。その気持ちに一登や喜代美は十分寄り添ってあげられていない様子。

これは規士が不満に思っても仕方がない状況です。このことに規士一人が我慢を強いられている状況には不安な気持ちが湧いてきます。

サッカー部を辞めて以降の規士は顔にあざを作ってきていて、生活も荒れていました。更にはある日、この不安を裏付けるような出来事が。規士が切り出しナイフを購入していたのです。一登が問い詰めても、規士は購入の目的を話しませんでした。ナイフは一登が預かり、デザイン事務所の工具箱へしまいます。

 

それから2週間くらいが過ぎて、規士は失踪するのです。

 

 

映画を観ていて感じる違和感。

これに一登や喜代美が気付いていない様子であることが妙にリアルでした。

 

一登も喜代美も自分たちの生活は<普通>であると信じています。

もしかしたら「少し<普通>とは違う」くらいには思っているかもしれませんが、そのことで息子や娘に問題が発生するとまでは思っていないでしょうし、思おうとしても思えないでしょう。

私自身、第3者の目線でこの家族を見ているからこそこの違和感を感じられるのであって、当事者であったとしたら気付かないと思います。

そもそも、<普通>に生きることなんてできないんですよね。

どこまでが普通でどこまでが普通ではないのか、ということは分かりません。

それなのに、人は自分の中の<普通>を色々な場面で当てはまて考えてしまう。そして時々、誰かとの軋轢に気付いた時、そこで初めて自分と相手の<普通>が違っていることに気付くんですよね。

気付いた時にはもう手遅れで、取り返しのつかない程に関係性が壊れてしまった後だったりすることもある。しかも、親しければ親しいほど気付いた時のダメージは大きくなったりしますね。

 

そういう時のいたたまれなさを知っているからこそ、ここまでの場面を観ている時は、胸が苦しくて苦しくて仕方がなかったです。

 

 

規士は被害者なのか?加害者なのか?

規士が失踪して以降、一登と喜代美、そして雅は思いも寄らず、究極の岐路に立たされます。

「自分の息子は、被害者なのか?加害者なのか?」

 

被害者なのであれば、息子は死んでいる。逆に加害者であれば、一登たち家族は一生<殺人犯の家族>として生きていかなければならなくなります。

どちらに転んでも、最悪です。

 

 規士が殺人の加害者であるとは到底思えない一登は、規士を信じようとします。

「確かに最近の規士は荒れていたけれど、だからといって人を殺すような人間ではない」というのが規士の<望み>です。

しかし、この<望み>は同時に「規士が死んでいる」ということを肯定することとなってしまいます。

 

喜代美はそんな一登の想いに同意することができません。

「万が一人を殺すような過ちを犯していたのだとしても、規士が生きていること、いつか帰ってきてくれること」それが喜代美の<望み>です。

実家から帰ってきた母の助言や雑誌記者とのやり取りの中で、喜代美の想いはどんどん強くなっていきます。

喜代美の<望み>は「規士を信じていない」主張だと捉えることもできます。それでも規士のため、家族のために強くあろうとする喜代美の思いは真っ直ぐであり、簡単に否定できるものではありません。

 

 

雅にとっては、殺人犯の兄を持つことになるのが一番堪えられないことでした。

もし規士が殺人犯だということになったら、これまでの生活は続けられなくなります。

高校受験まであと1か月程度あまりであるにも関わらず、それまで必死に勉強して目指していた志望校を受験することができなくなってしまいます。

「殺人犯の兄を持たないこと」これが雅の<望み>でした。

若さ故に兄よりも自分の立場を優先させてしまう、という側面はあるのでしょうが、同じ立場に立たされた時に、自分が雅のような考え方をしないと自信をもって言うことは私にはできません。

同じことは一登にも言えます。規士が犯人ではないかと噂されてからは仕事上の付き合いが断ち切れ、顧客からもキャンセルの電話が鳴り、これまでの仕事を続けることは到底不可能になりそうでした。

一登の中でも規士を信じる心にほつれが生じ始めたのでした。

 

こうして、家族はどんどんバラバラになっていきます。

 

 

「自分が一登や喜代美と同じ立場に立たされたらどうするだろうか」

ということを終始考えさせられました。

 

2人の主張はそれぞれ、ある面を切り取れば正当な主張でも、別のある面を切り取れば最悪の主張となります。だから、どちらに共感するかは人によって意見が分かれるところだと思います。どちらが正しいとは言えないでしょう。

 

「私だったらどうするか」といった切り口で考えた場合、私はおそらく、喜代美と同じような考えに至りそうだと思いました。

とにかく生きていてほしい。だからこそ、規士が殺人犯であるということを受け入れる。

殺人犯の家族となった時のこと、殺人犯となってしまった息子を受け入れていく時のことを想定して、心の準備を整えていく。覚悟を強めていく。

 

「息子を信じられないのか」と言われてもいい。冷酷だと言われてもいい。殺人犯を育てたのだと世間からレッテルを貼られることになっても仕方ない。仕事を失っても、家を失っても、家族がバラバラになっても仕方ない。大切な人全員が自分の元を離れていっても受け入れる。とにかく、息子が生きてさえいてくれば…。

 

 

私も、心がぐちゃぐちゃになった後で同じような心境に至りそうです。

(上記のような覚悟をしたところで、本当に最後までその覚悟を貫き通せるかは置いておいてですが…。)

 

だからこそ、 スーパーの駐輪場で喜代美が自らを省みる、あのシーンが私は忘れられません。

「自分は、息子を信じない、ということを強く覚悟していたのだ」

と。

そう気づいてはっとするその瞬間。自分の愚かしさに自分で気づくあのシーンを私は忘れられません。自分の信じていたこと、貫き通そうとしていたことが間違っていたのだと気付くあの瞬間を。

 

 

 

そうやって人が「前に進む」瞬間を描いてくれている。私にとってこの作品は、忘れ難い作品となりました。

 

 

これはどこにでもある話なのです

本作の最初と最後、作品を挟むようにドローンによる空撮のシーンが挿入されています。この演出が私は好みでした。

この空撮のシーンがあることで、この作品で語られた全てがとても普遍的でどこにでもあるようなことに感じるんですよね。

 

エンドロールシーンは、今年観た中でもダントツで好きでした。

石川家の邸宅がどんどん小さくなっていき、周りの民家が見えてくる。行きかう車、少し離れた民家や集合住宅が見え、その向こうのスーパーマーケットが見え、最後に遠くの山、海まで見えた時には、石川家も有象無象の中の1つでしかなくなります。

 

つまりは「この石川家があなたの街にもあるんだよ」ってことですよね。

重厚なミステリー性と普遍性を兼ね備える本作にはぴったりのエンドロールだと思いました。

 

 

 

 

 「あなたの街」だなんて他人事のように言っておいて、「私の家族」が同じような立場に置かれるようなことはないようにしなければですね。。。

 

 

作品情報